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祭神

 大本は、天地万有を生成化育したもう霊力体の大元霊(だいげんれい)にまします独一真神(どくいつしんしん)をはじめ奉り、大地を修理固成したまえる祖神(そしん)厳霊(げんれい)国常立尊(くにとこたちのみこと)、瑞霊(ずいれい)豊雲野尊(とよくもぬのみこと)、そのほか正しい神々を大本皇大御神(おほもとすめおほみかみ)と仰ぎ、斎きまつります。

 なお大本東京本部・東京宣教センターでは、救世主である素盞嗚尊の分霊・三女神の一神と示されている市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)さまを鎮祭しております。一般的には、七福神の一神で、弁財天(べんざいてん)として福徳財宝をさずける神として崇拝されています。

教祖

 大本は、出口なお開祖、出口王仁三郎(おにさぶろう)聖師を二大教祖と仰いでいます。開祖は厳霊の神格に充たされて神諭(しんゆ)を伝達し、救世の基を開き、顕幽(けんゆう)両界を守り、聖師は瑞霊の神格に充たされて愛善信真の大道を啓示し、万民の罪を贖(あがな)い、救世主神として顕幽両界を救いたもうことを信奉します。

聖地

 大本は、京都府綾部市「梅松苑(ばいしょうえん)」と京都府亀岡市「天恩郷(てんおんきょう)」を神業の根本聖地とし、梅松苑は祭祀(祭り)の中心地、天恩郷は宣教(教え)の中心地です。
 ここ大本東京本部は、首都圏宣教の中心地として昭和43年に開設され東光苑≠ニ命名されました。

沿革

 大本は、明治25年2月3日(旧正月5日)京都府綾部市に住む教祖出口なおに「艮(うしとら)の金神(こんじん)」と名乗る国祖国常立尊が帰神し、全大宇宙をはじめ現界、神界(天界)、幽界(中有界・地獄界)の立替え立直しと、地上を万民和楽の世界にする「みろくの世」の実現を啓示されたことにより開教しました。開祖は文字の読み書きができませんでしたが、自動書記により昇天する大正7年までの27年間に、和紙20枚つづりで約1万巻(20万枚)にのぼる預言と警告の筆先(ふでさき)を記しました。
 もう1人の教祖出口王仁三郎は明治31年、神霊の導きにより郷里の霊山高熊山(たかくまやま)(京都府亀岡市)で1週間の霊的修業を行い、現界・幽界・神界の三界、過去・現在・未来の三世の真相をきわめて宗教者としての使命を自覚。明治32年、開祖の招きにより大本へ入り大本の教義と組織を整えました。
 出口王仁三郎聖師は大正14年、世界平和実現のために「人類愛善」「万教同根」の思想・理念を提唱し「人類愛善会」を創立しました。しかしその神観や、平和主義・国際主義の理念は当時の国家当局を刺激し、大正10年と昭和10年の2回にわたり弾圧をうけました。特に昭和10年の第2次弾圧は、日本近代史上最大の宗教弾圧といわれています。なお、この弾圧事件は昭和20年の大審院判決で治安維持法違反の容疑の無罪が確定し解決しましたが、聖師は国民の血税はいただけないと、国への賠償請求を一切放棄しました。

 昭和23年聖師昇天後、出口すみこが二代教主を継承。世界平和を願って世界連邦運動をすすめたほか、「天地のご恩」「月日と土のご恩」を説きました。

 昭和27年、出口直日(なおひ)が三代教主を継承し、夫の出口日出麿(ひでまる)三代教主補とともに、「脚下照顧」「言心行の一致」を旨とした大本の教風確立につとめるとともに「宗教即芸術即生活」という開教以来の理想を唱導、自ら実践し、広く信徒にも奨励しました。

 平成2年、出口聖子(きよこ)が四代教主を継承、開教以来の悲願の神殿「長生殿(ちょうせいでん)」を綾部梅松苑に完成しました。また脳死臓器移植など生命倫理問題についても深い関心を寄せ、生命軽視の風潮に対して警告を発しました。

 平成13年、出口紅(くれない)が五代教主を継承。開教以来の教風の確立をはかるとともに、歴代教主による諸活動(宣教活動・生命倫理活動、福祉活動、平和活動、食・農・環境活動、芸術文化活動、エスペラント活動)の展開を進めるとともに、開教120年記念事業をすすめています。

※詳しい大本の概要・聖地・おしえについてはこちら(大本HP)をご覧ください。


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